アメリカ文学における忘却と想起 --
松本昇 /編, 松本一裕 /編, 行方均 /編   -- 南雲堂フェニックス -- 2001.10 -- 20cm -- 334p

資料詳細

タイトル 記憶のポリティックス
副書名 アメリカ文学における忘却と想起
著者名等 松本昇 /編, 松本一裕 /編, 行方均 /編  
出版 南雲堂フェニックス 2001.10
大きさ等 20cm 334p
分類 930.29
件名 アメリカ文学-歴史
内容 内容:ナショナル・メモリーの創出 エマソンの「透明な眼球」とメモリー 小倉いずみ/著. アフリカとアメリカン・ルネッサンスの時代の帝国幻想 竹谷悦子/著. ホイットマンと国家身体 川崎浩太郎/著. ナショナル・メモリーに抗して 神なる父 牧野有通/著. 越境する記憶 舌津智之/著. シャーウッド・アンダソンの語りの戦略 山嵜文男/著. 敗北への帰還 松本一裕/著. リメモリー、または帰属意識の再構築 救出される過去 笹田直人/著. バーナード・マラマッド『フィクサー』と〈記憶再生〉の構造 君塚淳一/著. 旧大陸の記憶とアメリカの今 村上東/著. 未来の記憶 元山千歳/著. 「記憶の未来化」に向けて 行方均/著. 埋もれた記憶 松本昇/著. トラウマの影 希望としての忘却 斎藤博次/著. アメリカン・ホロコ
要旨 19世紀の末、フランスの文献学者エルネスト・ルナンが『国民とは何か?』と題する名高い講演で、「記憶の共同体である前に、国民とは忘却の共同体なのだ」と指摘した。現在アメリカでは、さまざまなマイノリティのグループが自己文化を主張し、アングロ・サクソン中心の大きな国民国家の物語によって隠蔽されてきた記憶を取り戻そうとして、それぞれの小さな物語を語りはじめている。ただし、このような小さな物語も結局はアメリカという大きな物語にとり込まれるのであり、この大きな物語によって輪郭を与えられてきたアメリカという共同体の記憶のポリティックスから逃れることはできないのではないか?もし逃れられるとすれば、どのようにしてそれは可能か?本書ではこのような問いを導きとして、個々の作家がさまざまな姿で顕現する記憶のポリティックスに対して、どのように「同調」、あるいは「対抗」、あるいは「屈服」してきたかについて論考が企てられている。
目次 第1部 ナショナル・メモリーの創出(エマソンの「透明な眼球」とメモリー―過去との差異を認識する自己;アフリカとアメリカン・ルネッサンスの時代の帝国幻想―ナサニエル・ホーソーン編『アフリカ巡航記』 ほか);第2部 ナショナル・メモリーに抗して(神なる父―『ピエール』における記憶の変容;越境する記憶―キャザーの「同じ名のひと」 ほか);第3部 リメモリー、または帰属意識の再構築(救出される過去―『八月の光』、そして「出会いの前夜」にみる原‐記憶の力;バーナード・マラマッド『フィクサー』と“記憶再生”の構造 ほか);第4部 トラウマの影(希望としての忘却―『オーギー・マーチの冒険』における忘却の意味について;アメリカン・ホロコースト―ウィリアム・スタイロンの『ソフィーの選択』に見る奴隷捕囚体験記の物語学 ほか)
ISBN(13)、ISBN    4-88896-255-3
書誌番号 1101064831

所蔵

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所蔵館 所蔵場所 別置 請求記号 資料区分 状態 取扱 資料コード
中央 書庫 930.2/1588 一般書 利用可 - 2025933020 iLisvirtual