ネオTV的日常生活批判 --
水島久光 /著, 西兼志 /著   -- 慶応義塾大学出版会 -- 2008.12 -- 21cm -- 368,25p

資料詳細

タイトル 窓あるいは鏡
副書名 ネオTV的日常生活批判
著者名等 水島久光 /著, 西兼志 /著  
出版 慶応義塾大学出版会 2008.12
大きさ等 21cm 368,25p
分類 699.04
件名 テレビ放送
注記 文献あり
注記 付:ウンベルト・エーコ「失われた透明性」
著者紹介 【水島】1961年生まれ。84年慶應義塾大学経済学部卒業後、広告会社、インターネット企業を経て、98年「インフォシーク」日本法人の立ち上げに参加。2001年東京大学大学院学際情報学修士課程修了。専門はメディア論、情報記号論。現在、東海大学文学部教授。
内容紹介 テレビは世界に向かって開かれた「窓」なのか。あるいは、観る者自身のみを映し出す「鏡」に過ぎないのか。テレビの「日常性」の問題を、ウンベルト・エーコによる概念装置を参照しながら分析する斬新なテレビ論。
要旨 テレビは社会や世界に向かって開かれた「窓」(パレオTV)なのか。あるいは、世界への眼差しを喪失し、もっぱらそれを観る者自身のみを映し出す「鏡」(ネオTV)に過ぎないのか。本書では、ウンベルト・エーコが提唱し、ドミニク・メールが発展させた「パレオTV/ネオTV論」を基軸に、ドキュメンタリー、ドラマ、スポーツ、バラエティ番組などの変容を分析。私たちの日常生活に深く浸透し、その認識枠組みを構築するテレビの変容と、メディア的日常を生き、主体性を喪失しつつある私たちの社会の閉塞状況との密接な繋がりを批判的に検証する。附録として、ウンベルト・エーコ「失われた透明性」を収録。
目次 第1部 コミュニケーション・システムとしてのテレビ―その理論的射程(テレビとは何だったのか―テレビの批判的研究の枠組を問い直す;日常生活空間とテレビを媒介する理論);第2部 ジャンルの彼岸へ―語られざるコミュニケーションの階梯(バラエティと空間の地層―解放の笑い/笑いの解放;ヒロシマ―ネオTV時代のドキュメンタリー;ドラマの「真実」―タレント・ドラマからコンテンツ・ドラマへ;日本のテレビの「世界」―「世界系」の番組から見たパレオTV/ネオTV;テレビ=サッカー―テレビ・コミュニケーションの「基層」;「意味」への背走/「失敗」の系譜);第3部 テレビの再生―ネオTV的日常批判(人称化をめぐって―指標化とネオTV化のベクトルの交わるところ;窓であり、鏡でもある―テレビの再生のための断章)
ISBN(13)、ISBN 978-4-7664-1566-7   4-7664-1566-3
書誌番号 1108087580

所蔵

所蔵は 1 件です。現在の予約件数は 0 件です。

所蔵館 所蔵場所 別置 請求記号 資料区分 状態 取扱 資料コード
中央 4階社会科学 Map 699.0 一般書 利用可 - 2041737541 iLisvirtual