プラザ合意とバブル -- 光文社新書 --
岡本勉 /著   -- 光文社 -- 2018.1 -- 18cm -- 282p

資料詳細

タイトル 1985年の無条件降伏
副書名 プラザ合意とバブル
シリーズ名 光文社新書
著者名等 岡本勉 /著  
出版 光文社 2018.1
大きさ等 18cm 282p
分類 332.107
件名 日本-経済-歴史-昭和後期 , 日本-経済関係-アメリカ合衆国-歴史-昭和後期
著者紹介 ジャーナリスト。神戸市に生まれる。1978年、東京大学経済学部を卒業し、読売新聞社に入社。経済記者として、兜町を取材した後、日銀を担当。’87年からニューヨーク特派員となり、日米経済関係やウォール街を担当する。2004年から東京本社メディア局でインターネットを担当し、インターネットサービスのYORIMOを手掛ける。’09年から’17年までテレビ新潟監査役。現在は、BENsオフィスウルトラを主宰、代表を務める。(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
内容紹介 なぜ日本はプラザ合意を受け入れたのか。合意を拒否することは可能だったのか。日本はその後どのように変わっていったのか。プラザ合意後の日本経済の変遷を新聞記者として間近で見てきた著者が、バブル経済と失われた20年に対する新たな視点を提示する。
要旨 ジャンボ機墜落の衝撃はあまりにも大きく、1985年の夏は、日本中が重苦しい空気に包まれていた。新聞もテレビも、連日、ジャンボ機墜落のニュースで埋め尽くされた。この年は、9月21日が土曜日、22日が日曜日、23日は秋分の日という三連休があった。ここで、やっとひと息つけるという空気が漂っていた。ところが、そこへ、ワシントンから至急の連絡が入ってきた。それは、「日米欧の蔵相と中央銀行総裁が、ニューヨークに集まっている」という驚くべき内容だった。当時の蔵相は竹下登氏、日銀総裁は澄田智氏だ。前日の金曜日は、二人とも、確かに日本にいた。三光汽船の倒産が日本経済に影響が出ないよう、あれこれ、指示をしていたのだ。これが、プラザ合意の幕開けだった―。
目次 2度目の無条件降伏;1985年の日本;日米経済摩擦;1985年8月12日 月曜日;プラザ合意 1985年;円高始まる;円高不況 1986年;孤立する日本 1987年;バブル始まる 1988~89年;『「NO」と言える日本』 1989年〔ほか〕
ISBN(13)、ISBN 978-4-334-04333-9   4-334-04333-X
書誌番号 1113555420
URL https://opac.lib.city.yokohama.lg.jp/winj/opac/switch-detail.do?bibid=1113555420

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