細谷亨 /著   -- 有志舎 -- 2019.1 -- 22cm -- 320,3p

資料詳細

タイトル 日本帝国の膨張・崩壊と満蒙開拓団
著者名等 細谷亨 /著  
出版 有志舎 2019.1
大きさ等 22cm 320,3p
分類 210.7
件名 日本-歴史-昭和前期 , 移民・植民(日本)-満州 , 開拓-満州
注記 文献あり 索引あり
著者紹介 1979年,山形県生まれ.横浜国立大学大学院国際社会科学研究科博士課程後期修了.博士(学術).横浜国立大学経済学部非常勤講師,日本学術振興会特別研究員(PD),慶應義塾大学訪問研究員を経て,現在,立命館大学経済学部准教授.主要論文:「戦時期における日本人「満洲開拓民」の経営・生活と意識―山形県高松村送出・「阿城高柴開拓団」を事例として―」(『日本史研究』第566号,2009年).「戦時期における満洲分村移民送出と母村の変容―長野県諏訪郡富士見村を事例に―」(『社会経済史学』第80巻第2号,2014年).「人の移動」(日本植民地研究会編『日本植民地研究の論点』岩波書店,2018年).(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
内容 内容:いまなぜ満蒙開拓団を問うのか. 全国一の送出地域. 模範村の分村運営. 分村計画の帰趨. 強行された「北満」入植. 「民族協和」の位相. 中国側は満蒙開拓団をどうみたか. 帰ってきた村の人びと. 地域における国策移民の展開と帰結
要旨 満蒙開拓団―それは1932年から敗戦に至るまで日本帝国によって送り出された「満洲国」への日本人農業移民である。対ソ防衛など軍事的要請から開拓民の約半数が「北満」に入植したが、敗戦前後のソ連侵攻と現地の混乱により約27万人のうち約8万人が犠牲になったほか、約1万人が中国残留邦人として取り残された。本書は、その動員・送出過程と共に、満洲現地での農業経営や生活実態を開拓団と母村の関係や異民族支配の動向に着目して明らかにし、さらに日本帝国崩壊後に「引揚者」となった開拓民の生活についても分析する。こうした歴史の検証を通じて、満蒙開拓団を現代の「戦争を知らない世代」や地域社会がどのように受け止めるのかを考える。
目次 序章 いまなぜ満蒙開拓団を問うのか;第1章 全国一の送出地域―長野県下伊那郡川路村;第2章 模範村の分村運営―山形県西村山郡高松村;第3章 分村計画の帰趨―長野県諏訪郡富士見村;第4章 強行された「北満」入植―新潟県中魚沼地方;第5章 「民族協和」の位相―満蒙開拓団と現地住民;第6章 中国側は満蒙開拓団をどうみたか―中国各地で刊行された雑誌・評論を手がかりに;第7章 帰ってきた村の人びと―長野県下伊那郡川路村;終章 地域における国策移民の展開と帰結
ISBN(13)、ISBN 978-4-908672-27-9   4-908672-27-X
書誌番号 1113658008
URL https://opac.lib.city.yokohama.lg.jp/winj/opac/switch-detail.do?bibid=1113658008

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