〈フェイク〉と〈喪失〉の21世紀英米文化 --
髙村峰生 /著   -- 青土社 -- 2021.4 -- 19cm -- 256p

資料詳細

タイトル 接続された身体のメランコリー
副書名 〈フェイク〉と〈喪失〉の21世紀英米文化
著者名等 髙村峰生 /著  
出版 青土社 2021.4
大きさ等 19cm 256p
分類 702.33
件名 芸術-イギリス , 芸術-アメリカ合衆国 , 身体像-芸術上
著者紹介 1978年東京生まれ。東京大学文学部人文社会系研究科博士課程単位取得満期退学。イリノイ大学アーバナ・シャンペーン校で博士号を取得(Ph.D in Comparative Literature,2011年)。現在、関西学院大学国際学部教授。専門は20世紀の英米文学・文化、および比較文学/表象文化論。著書に『触れることのモダニティ――ロレンス、スティーグリッツ、ベンヤミン、メルロ=ポンティ』(以文社、2017年、第9回表象文化論学会賞)。(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
内容 内容:自宅への流刑、あるいは思い出すことすら不穏当なことを思い出すこと. 構築と落下. 背後の世界、あるいはあらかじめ喪われているものの彼方へ. 星条旗の〈黒い〉星のもとに. Can I Be Real?. すべての荒廃の後で. 記憶の揺曳/揺曳の記憶. 稲妻〈の速さ〉で歴史を書く. デュマは黒人だ. 深い皮膚. 接続された身体のメランコリー
内容紹介 21世紀の英米文化をかたちづくってきた“スター”の作品はなにを演じ、なにをうたっていたのか。文学と身体の、映画と国家の、音楽と表象の結節点を精緻に解きほぐす。気鋭のアメリカ文学者による重厚にして怜悧な批評・研究。
要旨 21世紀の英米文化をかたちづくってきた“スター”の作品はなにを演じ、なにをうたっていたのか。文学と身体の、映画と国家の、音楽と表象の結節点を精緻に解きほぐす。気鋭のアメリカ文学者による重厚にして怜悧な批評=研究。
目次 序論 自宅への流刑、あるいは思い出すことすら不穏当なことを思い出すこと―コロナの時代にカミュとアルトーを読む;第1章 構築と落下―『インセプション』における重力;第2章 背後の世界、あるいはあらかじめ喪われているものの彼方へ―ルー・リードとデルモア・シュウォーツ;第3章 星条旗の(黒い)星のもとに―デヴィッド・ボウイと「アメリカ」;第4章 “Can I Be Real?”―アメリカ時代のデヴィッド・ボウイにおけるフェイクとフェイム;第5章 すべての荒廃の後で―アクロン、メンフィス、デトロイト、そしてパターソン;第6章 記憶の揺曳/揺曳の記憶―カズオ・イシグロ『わたしを離さないで』における水と揺れ;第7章 「稲妻(の速さ)で歴史を書く」―『國民の創生』と『ブラック・クランズマン』における引用、真実、歴史;第8章 「デュマは黒人だ」―『ジャンゴ 繋がれざる者』における奴隷制度とその外部;第9章 深い皮膚―『神よ、あの子を守りたまえ』における商品化された「黒さ」と触覚的身体;第10章 接続された身体のメランコリー―ドン・デリーロの『ボディ・アーティスト』におけるメディアの存在論
ISBN(13)、ISBN 978-4-7917-7365-7   4-7917-7365-9
書誌番号 1113864039

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